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善光寺へ行く② 

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善光寺に到着して集合場所の宿坊「兄部坊(このこんぼう)」へ。
本日の日帰りツアー参加者総勢12名が揃ったところで、昼食の前に境内散策。

写真は大本山善光寺大本願
屋根瓦に菊ということは・・・・・。
 
 
そもそも、「大本願」とは何ぞやということになるわけですが、善光寺比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の大勧進(25院)と華頂山知恩院を総本山とする浄土宗の大本願(14坊)により運営されているのです。
(ですので、善光寺には宿坊が25院+14坊で39箇所)

そもそも善光寺が今の姿になったのは徳川家康の時代なのですが、ちょうど昨年の大河ドラマの武田軍と上杉軍の合戦の板ばさみな地にあった善光寺は、上杉軍に何度となく火を放たれ、武田信玄がご本尊を守ることになったのだそうです。ところがどっこい、その後武田信玄は亡くなり、ご本尊は織田信長の手へ渡ります。ところが、織田信長もまた本能寺の変にて夢半ばにて死亡。やめときゃいいのに、ご本尊は豊臣秀吉の手へ。ところがその豊臣秀吉もまた死亡。その秀吉の死の直前、ご本尊の如来様がその枕元に立ち、信濃の地へ戻りたいむねをお告げになり、豊臣から政権を奪った徳川家康が、莫大な資金を善光寺につぎこみ(寄進し)、ご本尊を信濃の地へ帰され、徳川の治世は以降300年続くこととなりました。如来様、よほど信濃に帰りたかったのだろうね・・・。

徳川家康の定めにより、大本願を歴代住職とし、大勧進は経理面を担当することになったのです。

前置きが長くなりましたが、写真の屋根瓦、菊があしらわれているとうことは・・・そうなのです。
この大本願の歴代住職(上人)は公家の出身者。しかも裏菊の紋=尼寺なのだそうです。
現在のご住職は121代目鷹司誓玉大僧正(たかつかさせいぎょくだいそうじょう)

そんなこと言われてもなんの関係もないと思われるでしょうが、長野市で行われた北京五輪の聖火リレーの折、中国によるチベット抑圧を理由にリレー出発点となることを拒否し、リレー出発時にチベットの動乱の犠牲者供養行ったその人であるのです。(少し身近になってもらえたでしょうか?)

途中、仲見世通りのおみやげ物屋さんで、ホカホカのお饅頭を振舞われるサプライズに、腹ペコの妹は大喜び。

その他にもたくさんのお話を聞き(仁王門の仁王様は高村光太郎の父高村光雲の作であることや、仁王様の裏側にも三宝荒神・三面大黒天という神様がお祀りしてあり、一般客は通り過ぎても商売人は足を止めてお参りすること、特に三宝荒神は火の神様で、何度も火災にみまわれた善光寺がそれ以降火災にあわなくなったこと。山門に掲げられている善光寺の「善」の字は牛に見えるとか、その山門の善光寺の文字は鳩字で書かれており、鳩が5羽隠れていることとか、六地蔵様のこととか。)、最後はお戒壇巡りで境内散策終了。お戒壇の中は真っ暗なのですが、最後に鍵に触れると極楽浄土へ行くことが出来るそうです。皆様も善光寺に行かれた際は是非ともお戒壇巡りにチャレンジして、最後に鍵に触れてください。(鍵というよりも何かの取っ手のようなモノなのですが。)

そして待ってましたの昼食(精進料理)です。

善光寺へ行く③に続く>>
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[2008/10/11 23:04] | TB(0) | CM(0)

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