スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[--/--/-- --:--] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

サラの鍵 

サラの鍵

サラの鍵

著者:タチアナ・ド・ロネ 高見 浩(訳)
価格:2,415円(税込)
出版社:新潮社(新潮クレスト・ブックス)

オススメ度:★★★★★(いい本です 口コミで広げたい!)



この物語の主人公は2人の女性。
1人は、1942年7月16日の早朝、ナチ占領下のパリにおけるフランス警察によるユダヤ人の一斉検挙・・・"ヴェロドローム・ディヴェール(ヴェルディヴ:冬季自転車競技場)の一斉検挙事件"にて収容所に連行された、当時10歳の少女サラ・スタジンスキ。
そしてもう1人は現代、フランス人の夫と結婚してパリに暮らすアメリカ人ジャーナリストのジュリア・ジャーモンド。

物語の始まりは、1942年7月16日のパリの早朝、ユダヤ人の一斉検挙から始まります。
早朝の突然かつ乱暴なフランス警察の訪問はユダヤ人であるサラの一家を震え上がらせるに十分すぎるものでした。当時10歳の少女だったサラ・スタジンスキは弟のミシェルを納戸に隠して鍵をかけ、ささやきます。

「じゃ、あとでもどってきて、出してあげるからね。絶対に。」

幼いサラはこれから収容所に連行されることも知らず、納戸の鍵をそっと服のポケットにしまい、幼い弟を残し両親とともにアパルトマンを後にしますが、それが彼女の歩むことになる凄絶な人生の第一歩なのでした。
  
 
 
こういう珠玉の一冊に出会うと、自分のボキャブラリーやセンスのなさが本当に腹立たしいわけですが、私がここでご紹介する本を面白いと思ってくださっている方、是非ともこの本もお手にとっていただきたく、最初にお願いします。

この本は、目をそらしたくなるような事実と真摯に向かい合うことの大切さと、それを語り継いでいくことの意味を教えてくれます。自分の人生を思う時、そこには必ずなんらかの歴史があり、私たちは一人で生まれてくるわけでも、また、一人で生きていくわけでもなく、私の隣の人が私の隣にいることは、私と私の隣にいる人のそれぞれの歴史の接点なのです。

この物語は、2002年に生きるアメリカ人ジャーナリストのジュリアが、あることをきっかけに1942年を生きたサラと出会い、お隣からそれ以上の存在になってゆく物語。

物語は、2002年ジュリアと1942年のサラが交互に描かれていきます。これがとても効果的。

最初は接点のない2人の距離が物語を読み進めるうちに徐々に近づき、物語の半ば以降は、ついに2002年のジュリアがサラの人生に触れ、1942年以降のサラの人生をひたむきに追いかけていく、読者が読むことをやめられない展開になってます。

サラが納戸に隠した弟や、彼女自身、そして彼女の両親がその後どういった運命をたどったのかは、是非とも本書でジュリアとともに追いかけてほしいと思います。

私が変に何かを書いてしまうよりは、物語の内容自体は知らずに読んでほしいと思いますので、物語についてはここまで。


あとは、最初に書いた"ヴェロドローム・ディヴェールの一斉(大量)検挙事件"について、少しだけ。
事件が起こったのは先にも書いたとおり1942年7月16日早朝。
パリおよびその近郊に住むユダヤ人13,000人強が一斉に検挙され、ヴェロドローム・ディヴェール(冬季屋内自転競技場)に連行された上に押し込められ、6日間の間、満足な食事も与えられず、トイレも使うことが出来ない状況で留置されたあげくに、そのほぼ全員がアウシュヴィッツ強制収容所に送られたというもの。
その中にはサラのような約4000人の子どももおり、戦後生還できた人は約400人のみ。
ナチスの占領下とはいえ、この一斉検挙を行ったのがフランスの警察であったことから、戦後、この一斉検挙事件はタブー視されつつも、1995年の7月16日(事件から53年後)に当時のジャック・シラク大統領が国家として正式に謝罪。フランス国民はショックを受けつつもその大統領の演説を支持、とWikipediaにはありました。

私もこの本に出会うまでは、この事件のことを全く知りませんでした。
これからこの本を図書館に返しにゆきますが、帰りにこの本を買って帰ろうと思います。
最後に、この本を新聞紙面上で紹介してくださった小泉今日子さんに心からの感謝。
こういう本こそ、手に取りやすい文庫本になって、多くの人に読んでほしいなぁと願わずにはいられません。

参考ページ
Vel' d'Hiv Roundup の画像検索結果
BBC NEWS "Paris remembers lost Jews"
Wikipedia Vel' d'Hiv Roundup
Wikipedia ラ・ラフル
【緯度経度】パリ 山口昌子 過ちを認めても謝罪はせず
 
 
スポンサーサイト

[2010/08/22 14:05] 書籍 | TB(0) | CM(2)

ごぶさたしてます。
mino_rinさんがここまでおっしゃる本、間違いないと確信しました。
帰りに本屋さんに行ってみます。

昨日、ハーバード大学の名物教授の東大での特別授業のニュースで、オバマ大統領は原爆投下について謝罪をするべきかどうかの議論をしていたのを見たばかりだったので、シラク大統領の謝罪エピソードがタイムリーで考えさせられます。
日本からの韓国への謝罪とかもね。

歴史認識ってその人それぞれだと思うから本当に難しいと思うけれど、その、人それぞれの意見を聞くことも大事だと思うんです。
自分はこうだ、と決めつけるんじゃなくてね。
賛同できなくても、議論を交わすことは不毛ではないはずですよね。
[2010/08/27 16:15] よっしぃ [ 編集 ]

よっしぃさん>>

 
お久しぶりです&コメントをありがとうございます^^

この本を目にとめていただき、それだけでかなり嬉しいです。
そして、それがよっしぃさんであってなおのこと!

本屋さんになければ、お貸ししますので、是非とも声をかけてくださいませ。

あの暗黒の時代は、究極的には誰が悪い悪くないじゃないんですけどね。
でも、同じ過ちを繰り返さないためには、悲惨な歴史から目をそらしてはいけないのです。これだけは絶対的に言えます。

この本の背表紙にも、直視することをためらわれる辛い過去は、忘却の彼方に葬るか、心に留めて見つめるかの2つの態度になるようなことが書かれていますが、戦争に限らず、人生において、辛いことを真摯に受け入れることができる人間でありたいと、久しぶりに感じさせられました。

臭いものにフタじゃないけれど、忘却の彼方に葬るほうが簡単ですし、面倒も少ないのでしょうけれども、それではなんの解決にもならないということもまたこの物語は教えてくれることと思います。

図書館で借りて、1ページ目を開いた時から、読むことをやめられない勢いで一気に読みました。
引力は十分ですので、飽きてしまう類の苦痛はないかと思います。(悲惨なシーンの苦痛はあるかもしれませんが・・・)
是非とも、お時間がある時にどっぷりと読んでみてください。
 

[2010/08/29 15:24] mino_rin [ 編集 ]

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://minorin.blog2.fc2.com/tb.php/1633-db0ba861


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。