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女の一生 一部・キクの場合 

女の一生1
女の一生 一部・キクの場合

著者:遠藤周作
価格:740円(税込)
出版社:新潮社(新潮文庫)


分厚い本なのですが、気が付いたら読んでしまいました。(1日往復で3時間弱の通勤時間で3日ぐらい。通勤時間以外は読んでません。)
「コリアン先生」の名でネスカフェのCMに起用された故・遠藤周作さんによる長崎の切支丹(キリシタン)迫害の時代を描いた作品ですが、この年にしてしみじみと「純愛」とはなんぞやということを考えさせられました。
 
 
今年の殿堂本第3弾です。今年は本に当たってます。当たりすぎで怖いです。
今年は、以前から読みたいと思っていて読めなかった本を古本屋でチェックして購入している
ので、読む本にだけは苦労しないほど(笑)、日々部屋に本が積まれていってます。
(読みたい本リストがたまたま出てきたんですよね・・・これはもう「今、読め」ってことなのかと。)
高校以降は夜学→社会人なので、本を読む時間と心の余裕がすっかりなくなってしまった
わけですが、読みたい気持ちだけはあったようで、「司書先生の紹介本」なんて
コメントがついた読みたい本リストのメモ書きが出てきて、昔の自分との再会に懐かしいやら
恥ずかしいやら。当時の自分が「いつか読んでくれ、これからの私」ってたくしたみたいに
思えてきまして、今になって昔の私がチェックした本を追いかけているというわけなのです。
ですので、「今になってこの作品かい!」って本の紹介がこれからも続くと思います。


さて、本題の「女の一生」ですが、遠藤周作先生(河合隼雄先生と同じで、恩師に近い感覚があって先生と呼んでしまう・・・)の代表的な作品といえば「海と毒薬」や「沈黙」などが思い浮かびますが、それらが教科書であるならば、この「女の一生」は聖書のような作品だと感じました。

人間という生き物の強さや弱さやひたむきさは、時としてなんと惨いものであろうと思わずにはいられません。

舞台は昭和から明治へ移行する激動の日本。長崎の浦上村に生まれた隠れ切支丹の清吉と清吉の暮らす集落と隣り合わせの集落に育ちながらも非切支丹なキクの物語。
幼いキクが、その負けん気の強い性格から、意地の悪い少年に虐待されていた子猫を助けるために木に登り降りられなくなってしまったところに、ちょうど通りかかった清吉がキクを助け、二人は出会います。
年頃になりお互いに惹かれあう二人。しかし清吉が切支丹であることが二人の愛の障害になり、幕府の本格的な切支丹弾圧により清吉を含む浦上の切支丹たちは方々に流罪となり、文字通り二人は引き裂かれてしまいます。

それでもひたむきに清吉だけを思うキク。その切れ長の瞳には一切の迷いがなく、常に人生を清吉のためだけにひたむきにかけぬけてゆきます。



男女の間の愛だけでなく、家族、親子、友人、信仰・・・愛には男女の愛以外にも様々な愛があると思いますが、なんだかねぇ、もう本当に考えさせられてしまいました。
主人公のキクは負けん気が強く、しっかりものの姉御肌。対して、気が弱く、哀れなものを放っておけない心の優しいキクの従姉妹のミツの存在が絶妙なんです。
この二人、それぞれ別の人ではありますが、ともに切支丹の男に惚れるんです。
ですが、歩んだ人生は、その性格のごとき真反対のものでした。
キクの人生がいいとかミツの人生がいいとかではないのです。
ほんと、神様とは、その人にしか背負えないものを背負わすのであるかな・・・って思えてしょうがありませんでした。

キクのひたむきな愛はまぎれもなく「純愛」です。
凄いことですよ。ろくに恋人らしき何かもないまま、流刑になった相手を思い続けることなんて並大抵のことでは貫けません。でも、キクは、一点の迷いもなく清吉を、そして清吉を思う自分を理屈抜きで信じ、自分の足で人生を切り開いてゆくのです。そんな激しい一途さがキクの愛。

一方ミツはどちらかといえば受身なタイプ。
向こう見ずなキクとは違い、盲目的に清吉を想うキクを絶えず心配しながらも、着実に安定した人生を歩んでゆきます。そんな静かな穏やかさがミツの愛。

最後は涙なくしては読めません。
あまりに切なくて、あまりに惨くて。
電車の中で涙をぬぐってしまいました。
正直、その身を犠牲にしてまで貫くことがあろうかと思ってしまうのですが、キクが清吉にひたむきだったように、清吉もまた信仰にひたむきであって、二人はかけがえのない「愛」のためにわが身を削って辛苦に耐えた。しっかりもののキクなのに、ミツのように細く長くは生きられない不器用さんでもあったのです。違う人生もあったかもしれない。でも、この時代に生まれた気丈な「キク」というかけがえのない人間には、やはりこの人生が唯一無二の人生だったのです。


「わかりませぬ。ばってん、神さまは本藤さまより、あなたさまのほうを愛しておられることはわかっとります。」(467ページ)

この伊藤に対するプチジャン神父の言葉こそがこの物語の全てを語っていると思います。
何が善良なるもので、何が悪しきものなのか、あらゆる物事は難しいとほとほと思い知らされるようでした。
伊藤の弱さは許しがたいものがある、というより個人的には許せない。けれども、自分を「弱くうすぎたないもの」だと自覚している伊藤。一方、傍観しているとはいえ、その実、汚れた仕事を他人に丸投げ、出世街道にのったら、他人のことなどこれっぽっちも思わない本藤。
実際に世の中にこの二人のような人がいたら、私も含め99%の女子はうわっつらだけを見て「本藤さんってステキ」なんでしょうけれども、プチジャン神父は神さまが愛しているのは伊藤だという。なんとなくわかる気がするんですよね。伊藤もまた不器用なんです。こんなうすぎたない伊藤でも、伊藤に向けられる愛があったなら、その弱さはもしかしたら強さになったかもしれない。強さと弱さもまた紙一重の背中合わせ。

分厚い文庫本ですが、機会があったら是非読んで、「純愛」とはなんぞやって、本質的な「善きこと悪きこと」とはなんぞやって、考えてみていただけたら嬉しいな~って思います。
本当に遠藤周作先生の本は優しくて残酷で深いです。

そして、ニ部・サチ子の場合に続きます―――
 
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[2008/04/16 22:16] 書籍 | TB(0) | CM(0)

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